起業日記01

長いことビジネスをやっていると、

「最初はどうやったんですか?」

という質問を多くいただくようになります。
なので、起業日記という形で起業当初からを振り返り、どうやって稼げるようになったとか、特にスタートアップ時に何を考えどういった行動をしたのかなどを綴っていきたいと思います。

2005年にネットビジネスという業界を知り、2006年1月に会社を辞め独立してから2020年で丸14年が経ちました。
書くべきことはもう無限にありますが、今まだなんの実績もなくどうやって稼いだらいいのだろうか?
と悩んでいる人のお役に立てればと思って書いていきます。

今回は第1回目ということで、学生時代からサラリーマン時代の話を書こうかなと。

大学入学まではごく一般的なレールの上を歩いてきました。
しかし、大学に通いはじめて1ヶ月もしないうちに大学がつまらなくて退屈だと感じるようになりました。

夏休みを挟んでからその想いはより大きくなり、年が明けた頃には辞めることを決意し、親に相談もせずに勝手に大学を辞めてしまいました。

そこからは完全にフリーター生活となってしまうのですが、それはまずいと思い編入を決意します。

しかし、大の勉強嫌いで本を読むことも苦手だったので受験勉強なんてできない・・・。

ちなみに、最初の大学は指定校推薦だったため大学受験はしていないんです。
高校3年生の時も進路のことは深く考えていなくて、ただ日々流されていた感じでした。一応進学校だったので最低限の勉強は必須でしたが一般受験して受かるような学力はありませんでした。とにかく英語が苦手過ぎで担任からも絶対に一般受験は無理と言われていました(笑)

そんな状態で指定校推薦で入った大学なのでなんの想い入れもなく、入りたい大学でもなく、無名大学だったため余計に辞めたくなってしまったんです。
一般受験で苦労して入られた方も多くいたので失礼な話ですが。

そんなこんなで受験での編入は諦め、通信制の大学で編入し、そこから一般学生へとなろうと作戦を立てました。

当時はなんだかんだ言って『大卒』という資格は重要だと思っていたので。

作戦は成功して無事大学生に戻ったわけですが、卒業するまでに7年かかりました(汗)

最後の3年間はスノボードで山籠りし、夏は室内練習場で滑り、年間200日以上スノーボードをしていました。
スノーボードにハマりすぎたおかげで卒業も遅れました。

ただ、これは結果的に良かったなと思っています。
普通に4年間で大学を卒業していたら普通の会社に就職し、普通に働くという人生を送っていたと思います。
父親も絵に書いたようなサラリーマンだったので。

大学を7年間もかけて卒業したとなると、就職活動も他の学生より3歳年上の状態で始めることになります。
当時はその年齢が妙に気になり劣等感を持っていました。

そんな後ろめたい思いもあったため、就職活動もほとんどせず、会社も4社しか受けませんでした。

しかし、4社中3社に内定をもらうという奇跡が(笑)
一流企業はどうせだめだろうと思って中堅どころを受けただけですが。
一応上場会社ですけどね。

内定をくれた3社のうち、頑張れば給料を上げてくれそうな営業会社を選び就職しました。

しかーし、学生時代の営業のバイトと全く内容が変わらなかったため、何も得ることがないと判断して2ヶ月で退職。

今度は自分の好きな自動車業界で面白そうな会社を探して決め打ちで面接へ。

その結果すぐに採用の合格通知をいただけましたが、当時の所長から手痛い一言をもらいました。

「前の会社を2ヶ月で辞めてるんだよね?またすぐに辞めちゃわないかな?本当に大丈夫?」

と言われました。当然ですね。
離職率も所長にとっては大きな査定ポイントになると思うので。

その予測は正しいものとなり、またしても5ヶ月後に退職となるのでした。
◯中所長すいませんでしたm(_ _)m

なんでまた5ヶ月で辞めたのかといいますと、それは

2005年にネットビジネスという存在を知り、その年の12月にあるネット起業塾の募集があったからです。

このネット起業塾をサラリーマンをやりながら副業で取り組むのではなく、すべての時間を注ぎ込んで勝負してやろうと思ったんです。

当時は独身で実家暮らしだったので何も守るものや失うものはなく、自分の意志だけで勝負できる環境でした。
貯金は50万円あったので、そのお金をネット起業塾の受講料として使い、残り数万円で勝負に出ました。

これが河合利宗のネットビジネスの始まりです。

ちなみに、河合利宗は本名です。
最初から本名で始めたのでそのままやっています。

ほとんど勢いだけで会社を辞めて独立した格好となりましたが、この選択が結果的には正しかったのです。

2社目の会社を辞めて独立すると父親に話したときにはさすがに怒られました。

「お前は社会を舐めている!」

って感じで言われましたが、

「1年間だけ見てくれ。1年間で年収1千万円を達成できなかったらまた会社員に戻るから。」

と、伝えて独立しました。

当時26歳でした。

会社員時代は、大人として働かなければならないという常識的な考えで流されて働いていただけで、自主性は一切ありませんでした。

しかし、『自らの意思でチャンスを感じ、独立して稼ぐ!』

という強い意志がそこにはありました。

やらされているのではなく、自分から湧き出る主体性を持ち、自分からやらねば勝負には勝てない。

この意識が結果に繋がったと思います。
多くの人に欠けているのはこの主体性かなと。
自ら探しに行く、見つける、学ぶ、実践する。

こういった気持ちが大切です。

次回は独立当初の話を書きます。

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